40歳になるのが楽しみになってきた
まだ少し先だけど、先だからこそ、ここ数ヶ月、40歳になるのが怖くて仕方がありませんでした。
何にも無いのに、子どもはいて、若さも無くし、これから何も無いまま生きていけるのか?
どんどん何にも無くなって、お金もない、何にもできない、やらせてもらえない。
なのに、どんどんどんどん年は取っていく、、
どんどん価値のないショボい自分になっていく、、というイメージに苛まれた。
何にも無いというのは、「価値のあるものが何も無い」ということ。
今の私は、母、妻、会社員って感じだけど、すべてが中途半端で、価値を創造しきれていない。
会社の事業そのものに全く興味が無く、自分の仕事もどうでもよく「やるしかないからやっている」だけで、どうでもいい。
9時〜16:45の間、大人しく座っていれば、お給料は毎月もらえる。
そのお給料がなくなったら、我が家は生活できない。
平日は、死んで過ごす。
と、割り切って生きてきた。
小学校から高校まで。
大学時代は、楽しかった。
概ね、興味のあることしかしなかった。
好きな服を買うためのバイトは、嫌いだったけど。
「好きなものを買うために、嫌いな労働に従事する」というスタイルは、学生時代に築いてしまったのか?
21歳の時に、当時の女子大生としては適正な就活の果てに得た職を惰性で続けているわけだが、会社が求める人材像は常に変わらず「若くて、文句言わずに言われた通りに動ける女の子」。誰にとっても、無害な良い人であること。
50代になっても、「文句言わずにニコニコと言われたことをやれるオバサン」であればOK。
電話、FAX、朝の会。
遅刻厳禁、災害時は「1分でもいいから出社すること」生産性の無い根性論。
15年も勤めていても、大手の新卒社員にも満たない給料。
私には、何があって、何が無かったんだろう?
根気、やり過ごす器用さ、割り切れる精神があっただけで、ただ1つ無かったものは、勇気なのかもしれない。
会社を辞める勇気。
⬆︎
という文が下書きに入っていた。
これで終わりなのか?続きがあったのか?自分でも思い出せない。
書いたのは、先月あたりかなあ。
この内容で、タイトルが「40歳になるのが楽しみになってきた」って!
何を考えてたんだー?自分!