ことはなのこと

子と花の事

自粛48日目&49日目:備忘録

無職のSTAY HOMEで実感したこと

 

生きる上で必要なこと

・誰かと直接会えること(好き嫌い関係なく)

・誰かと会って話せること(好き嫌い関係なく)

・「あなたに会えて嬉しいです」という気持ち。

・(自宅もいいけど)外出先があること

・美味しいものを食べること

・天気が晴天

・大きな公園の有り難み

・風通しが良くて、陽当たり良好、大きな公園が近い家(1LDKでもOK)

・人とのつながり(直接でもオンラインでも)

・明るく朗らかに活きいきと。常にポジティブな想像

・空想ではなくて、真実に基づいた理想が大事。その理想へ意志することが大事。

・人と比べないこと

・無い物ねだりしないこと

・他人を羨ましがらないこと(生きとし生けるもの、悩みのない人はいません)

・自分の境遇に感謝すること

・「ある」ものを数えて、満足すること

「私はこれでいい。この自分でやっていくのだ!」(不平不満を探さないこと)

・苦労厳禁(過去を思い返して苦労する苦労、たった今の人生に対する苦労、取り越し苦労)

 

「職場がある」ってありがたかった。

辞めなきゃ良かったなあと毎日思った!

給料が振り込まれる、自分が家にいても他の人が働いてくれること、皆んなでルーティンを回すこと、、

私が捨てた日々のなんと有り難かったことか。

 

でも、そもそも有り難みを忘れたから辞めたのではない。

仕事とは何か、チームワーク、会社に入って良かったなと思うことはたくさんあった。

何より、時間が培ってくれたものは大きい。

 

なのに、なぜ手放したのか?

ギリギリ30代のうちに、「他のこと」をやる時間を得たかった。

子どもとの時間、親との時間、祖父母との時間。

自分と向き合う時間。

インプットとアウトプットをする時間。(私はアウトプットが苦手)

興味のある他の仕事をする時間。

人と会って話す時間。

もっと世の中のことを知る時間。

マーケット感覚を身につける時間。

 

会社の環境、人間関係、日々の忙しさに甘えて、これらをすっ飛ばして、40代に突入するのが怖かった。

「いつやるか?今でしょ!

完全に勢いだった。

「今なら、失敗してもリカバーできる」

 

失業してみて、どんな気持ちになるか知ることができた。

私はまず、自分に巣食う「不安」と向き合うことになった。

会社が無くなるとこんなに「不安」なのか。

意外だった。

自分の所属先があること、毎月の収入、働く仲間がいることが、どれほどの安心になるのかがわかった。

けれど、会社があっても私は不安だった。

時間が奪われること、それによる様々な機会の喪失、、。

結局、不安なんじゃん!

・・・私って、心配性なのか?

 

もう一つ、私に決定的に欠けていた要素。

それは、「人のために尽くす」という姿勢。

自分の仕事をすることは当たり前。でも、この世は支え合いで成り立っているんだから、「どうやったら人の役に立てるか?」「世の中のためになるか?」を常に考えるべきだった。

 

私が常に考えていたのは「評価」。いかに基準を満たし、いかに点数を稼げるか。それが、「成長を怠らない」「貢献している」ことを表し、「職務をまっとうする」こと、正しい姿勢だと勘違いしていた。

 

私は「自分の職務をまっとうする」ことに一生懸命だった。愛想良く人に接すること、勉強したり教えたり、円滑な人間関係を築くことも、自分の職務だと思っていたので取り組んだ。

 

でも、大事なのは「人のために尽くす心」だった。

責任感とは、別に「心」が必要。

これは、人間としての当たり前の部分なのだ。

見返り云々ではない。

発想の転換」しまくったけど、心の部分がダメだったから効果が無かったんだな。

 

心があれば、あの退屈な単純作業に取り組む気持ちも変わったかな。

会社が無くなったら困るお客さんがいる。その人たちのために私は働く。そういうシンプルなことで良かったのだ。

「この世は支え合い」なのだから。

 

と、いうわけで。

心はともかく、やってきたことについては、私は充分に役に立っていた!

ということにした。

 

そのほか、

プロフェッショナルは、「仕事のために勉強している」ことにも気づいた。だから、何かのプロになれるのだ。

勉強すればするほど仕事は楽しくなる(はず)なのだ。

「私生活と仕事を分ける」ことはケジメの話であって。趣味ももちろん大事だけど、「どうやって仕事を充実させるか?」はそれ以上に大事。(その文脈でいくと、趣味が仕事に役立ったら幸せだね)

 

じゃあ今の無職の自分は役に立っていないのか?

否!

仕事を失っても、「ある」はある。

自分の境遇に感謝する。

 

「損得勘定」ばっかりしていた私にバチがあったのだ。

いや、然るべきタイミングで、然るべきことを宇宙の力?神様?お天道様?が教えてくれたのだ。

 

考えようによっては、「大損」!したけど、

考えようによっては、「大正解!命拾いした」!とも言える。