ことはなのこと

子と花の事

【自粛43日目】今年一番凹んだ日

わけあって、今年一番凹みました。

 

あてにしていた給付がもらえないことになり、落胆。撃沈。

 

もう悲しいやら悔しいやら不安だわで、涙が止まりませんでした。

いい年して、ティッシュの山です。

娘に励まされました。

自分がいるから大丈夫だと。

 

夫が作ってくれたハヤシライスを食べてても、涙がポロポロポロポロ。

 

「泣きながらご飯を食べたことがある人は、生きていけます」。

ドラマ『カルテット』松たか子さんのセリフを思い出しました。

 

今日気づいたこと。

私って、本当にお金のためにしか仕事をしてこなかった。

 

そこに愛はないし、なんなら、お金もついてこなかった。

 

色々工夫して、少しでもハタをラクにできるようにしてきたつもり。

メール一つとっても、できるだけ無駄なく、わかりやすいように。

業務効率化。

たくさん勉強もしたし、教えてきた。

先輩にいじめられても後輩はいじめなかった。

色々頑張ってきたつもりだけど、そういうことではなく。

仕事は生活費を得る手段と割り切り過ぎていた。

 

大事なことは、割り切ることではなかった。

たぶん、、

 

私は、15年間、何かとても大事なことを落っことして生きていた。

「給料は、我慢料」。

間違いじゃないと思うけど、100%我慢料にしてしまっていた。

 

夫には、「ある」ものに気づかないかぎり、何をやっても同じだと言われました。

本当にそうだと思う。

 

足の引っ張り合いに疲れたのは事実。

でも、かつて私が手にしていたものは、お金だけじゃなかったのだと、失って初めて気がついた。

いろんな意味での「セーフティネット」。

 

「お休み」じゃなくて、「辞めた」ことは大きい。

それで見えたことがたくさんあった。

たった2カ月弱だけど。

 

強固な資本に守られた組織だったけど、同調圧力も凄まじかった。

そういうものから解放されてみたかった。

 

あ、今、私に「ある」ものがなんとなく見えてきた!

今の自分は、たくさんのものを失って、「ない」ものばかりだと思っていたけど。

 

・自由な時間(1人時間では無いけど、精神的には自由)

・貯金(使うことを許可する!)

・娘とべったり過ごせる時間(もうすぐ娘は一人っ子じゃなくなる)

 

コロナ禍で、どこにも行けないストレスや、妊娠中で思うようにならないストレスで見えなくなっていた。

 

私が手にしたかったものは、ちゃんと手に入れられている。

今はそれを受け取って、喜べばいいだけだった。

 

お金は心配しなくても無くならない。

大丈夫。

 

だから、安心して今を楽しめばいいのだよね。

 

こんな私のお腹には、息子がいる。

今もごにょごにょ動いている。

 

この子が、色んなものから私を守ってくれたのかもしれない。

お金の心配ばかりしている私に、友人が言ってくれた。

「損得勘定の無いところに来てくれた子なんだよ」と。

その時はピンと来なかったけど、今はなんかわかる。

 

今まで私が価値を置いてきた「お金」をことごとく蹴散らし、新しい価値を見なさいと、日々教えられている感じ。

 

これが私の井戸なのかも?

こうやって、うつむいて自分の井戸を掘る。

掘って掘って、世界とつながる。

 

このブログは、現時点では誰にも知られていない。

誰も見ていないという安心感でパーソナルなことを書いているけど、この行為が井戸を掘ることなのだとしたら、なんか嬉しい。

だって、なんの生産性も無いようなこの行為が、この眠れない夜が、どこかの誰かとつながる可能性があるということだ。

そう思うと、救われるし、ちょっとワクワクする。